Jo'sさんちへようこそ!
私は団塊の世代で、定年を迎えました。仕事の他にもやりたいことがいっぱいあります。年輪を重ねるごとに、だんだん趣味や嗜好は変わってきました。いくつ かあげると次のようなものです。

アマチュア無線    ラテン音楽   パソコン     写 真     山 歩 き   家庭菜 園  天 然記念物巡り

(1)アマチュア無線の開局

  若い頃(今から?十年前)、アマチュア無線をやっていました。短波で外国と交信してQSLカードを集めたり、旅行先 で無線を使って抜け道や美味い店を教えてもらうのが楽しみでした。伊東、路上歩行、ハーモニカ()… と言って、モールス符号やQ符号を覚えたりしたもので す。今はもう、電報にも使われていないそうです。

 放っておいたら免許が切れました。再免許を申請して、以前と同じコールサインを指定してもらいましたが、急速に興味が 薄れ、現在は休憩中です。

【注】※ モールス符号は、長くのばす音と短い音の組み合わせで作られてい ます。

 「伊東」と書いたのは、 ・― のように、短い音1つの次に長い 音1つをくっつけたもので、「トツー」という感じの音になります。これは「いとう」という発声に似ているということで、この音はイロハのイを表します。
 同じように「路上歩行(ろじょうほこう)」は・―・―(イロハのロ)、「ハーモニカ」は、―…(イロハのハ)となります。一昔前は電報で使われていまし た。

(2)ラテン音楽に目覚める

  若い頃から、不思議とラテン音楽を聴くのが好きでした。西田佐知子の「コーヒールンバ」という歌を聞いたのがきっか けだと思います。レコードを買ってきたり、FMラジオでラテン音楽を毎週聴いたりしていました。

  この当時は、歌の意味を知りたくて、辞書を買ってきてスペイン語を独学もしていました。おかげで、音楽だけでなく、 中南米の歴史や文化そのものに興味を抱くようになりました。退職して余裕ができたら、是非とも旅行してみたいみたいものです。スペイン本国よりも、中南米 がいいですね。
 ♪ベサメ ベサメ ムーチョ 〜

(3)パソコンを買う

  昭和61(1986)年に、大阪の日本橋で展示品のパソコンを買ってきました。

 「パソコン、下さい」といって店に入ったのですが、「何に使わはります?(大阪弁)」と問われて、すぐ答えられません でした。「何でもいいので安いパソコン下さい」といった調子でした。パソコン本体とソフト(ワープロ用と表計算用)の値段が同じぐらいだったという記憶が あります。5インチのフロッピーディスク装置があって、CD−ROMはもちろん付いていませんでした。

 MS-DOSを扱ったり、BASICでプログラムを作ったりしていました。DOSとかBASICがという言葉がわかる 人って少ないでしょうね。その頃はBASICでも結構パソコンが動いてくれていました。その後、C言語にも興味を示しましたが、これまた中途半端で終わり ました。

  今でも、なぜかこの頃作ったソフトが残っています。

(4)パソコンを使う

  買ってきたパソコンも、蓋を開けて小細工をすることが多いので、いつの間にか調子が悪くなります。ハードディスクの フォーマットやシステムの再インストールなどは、毎度おなじみの日々でした。

  どうしてもだめな時は、女房に黙って、別のパソコンを仕入れます。最初の頃は、「今度のパソコンなら2年ほど禁煙す ればいいか」といった調子で、叱られないように自分なりの努力をしていたのですが。

  パソコンの興味は、次のように変化してきたような気がします。

@ソフトを使うこと、AMS-DOSのコマンドを覚えること、BBASICのコマンドを覚えること、CBASICでプロ グラムを作ること、DBASICのプログラムをDOSに変換すること、EC言語でプログラムを作ること、FWindowsを使うこと、GLinuxを使う こと、HWindowsでLANを組むこと、IWindowsとLinuxを共存させること、JLinuxでLANを組むこと。

 次に挑戦することは何でしょう。わかりません。

 (5)写真をはじめる

 高校時代だったでしょうか、薄暗い暗室で写真の現像をしました。修学旅行で撮影したフィルムを使って、薄暗い暗室で焼き付けもしました。今も印象 に残っているのは、現像液の中からワニが現れてくる瞬間です。確か別府で温泉の熱を利用してワニを飼っている施設へ行ったときのことです。ワニの迫力に、 思わず何度もシャッターを切ったその一枚がうまく撮れていました。
 今も細々と写真を続けられるのも、そのワニのおかげでしょうか。
 なお、現在はデジカメを利用して、様々な写真を撮っています。孫の写真や旅行での写真 が中心です。ソフトを使っての加工は、あまりしていません。


おまけ

 「ま め」という名の飼い猫でした。長男が名付け親です。昔は「たま」とか「ミー」という名前が多かったように思うのですが。 

 家の中で飼っていたので、運動不足なのか、廊下を走りまわったり、ツメで柱や網戸に傷をつけていました。

 まめは、家族に馴染まないのが難でした。私なんか、足音や姿を見ただけで逃げていきました。別にいじめているわけでもない のですが。ただ、玄関ホールにあるマットの上だけは別でした。ここにいるときは、逃げません。時々つかまえては、いたずらをしてやりました。

 その「まめ」も15歳を超え、元気がなくなってしまい、とうとう死んでしまいました。

 それ以後は、家で動物を飼うことはしなくなりました。