1955年4月1日 |
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互助会組織より分岐独立し、組合発足。互助会的なレクレーションを中心とした組合活動のまま発進。初の町長との交渉(給与改訂について)を持つ。
執行部体制(委員長、副委員長、書記長、組織部長、レク部長、体育部長、財政部長婦人部長) |
1962年4月1日 |
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初めてメーデーに参加。(青年部発足) |
1965年4月1日 |
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情報宣伝部、給与対策部、福利厚生部発足) |
1970年7月1日 |
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自治労へ正式加盟。(自治労守山市職員労働組合として体制が固まる。) |
1973年4月1日 |
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現在の組合事務所を確保し、書記局(書記1名)を設置し、現在の書記局体制を固め、より充実した組合活動を展開し始める。 |
1974年9月1日 |
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専門部として公営企業部、保育園部、幼稚園部、高校部、が設置され、各部から執行委員の選出があり行政職から保母・保健婦・教育職まで全員組合をモットーに全ての職種が反映される。 |
1979年6月28〜29日 |
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自治労野球近畿大会で優勝。全国大会へ出場。 |
1979年8月7日 |
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自治労バレーボール近畿大会で優勝。全国大会へ出場。 |
1979年9月1日 |
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高校部での20周年記念行事への「君が代」導入問題の自主的解決。
学校給食現場の給食調理員労働組合の結成。 |
1980年9月1日 |
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自治労加盟10周年記念品を組合員へ配布。 |
1982年4月1日 |
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守山病院が市立化され、守山病院労働組合が市民病院部として市職労に結集し、現体制がここに確立する。 |
1982年9月1日 |
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人勧見送りで大平内閣解散、人勧凍結という屈辱を味わう。この年から人勧は定率で推移していくことになる。 |
1990年4月1日 |
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書記局体制の強化。(書記2名体制となる。) |
1990年8月19日 |
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組合結成35周年、自治労加盟20周年記念式典の開催。 |
1990年9月1日 |
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副執行委員長が2名体制となる。 |
1990年12月11日 |
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一時金の傾斜配分を行政職4級から加算措置することで妥結。(その他の給料表も行政職に準ずることで決着。) |
1991年9月1日 |
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守山市職員労働組合井慶弔金給付規定を制定。 |
1992年9月1日 |
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副執行委員長が4名以内の体制となる。婦人部が女性部に改正となる。リフレッシュ休暇を導入。 |
1993年4月1日 |
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週休二日制の導入。 |
1995年6月8日 |
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労働金庫に組合員全員の口座開設を決定。 |
1995年7月1日 |
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組合結成40周年、自治労加盟25周年記念式典の開催。 |
1997年1月19日 |
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福井県三国町重油流出救援ボランティア活動。 |
1997年4月1日
〜翌年3月31日
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西井秀隆氏、県本部在籍専従執行委員となる。
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1998年2月2日〜 |
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地球を守ろう!環境アピール活動。 |
1998年5月13日〜 |
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毎月第2水曜日ノーカーデーを実施。 |
1998年10月15日 |
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青年部組合員を33歳以下の組合員に改める。 |
1999年8月11日 |
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人勧、一時金5.25月から4.95月に削減。 |
2000年8月2日 |
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第22回自治労スポーツ大会バレーボール近畿大会出場。 |
2000年8月15日 |
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人勧、異例!俸給表改定なし、一時金0.2月削減。 |
2001年8月1日 |
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第23回自治労スポーツ大会ベレーボール近畿大会出場。 |
2001年8月8日 |
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人勧、俸給表改定2年連続見送り、一時金0.05月削減。 |
2002年3月12日 |
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市職労ホームページ公開。 |
2002年4月1日 |
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平成14年度に限り調整手当を1%削減。 |
2002年8月8日 |
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人勧、史上初のマイナス給与改定、差額分は4月に遡及し、3月の一時金で『減額調整』、一時金も0.05月削減。 |
2002108月19日 |
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守山市職員労働組合現業評議会結成。 |
2003年4月1日 |
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調整手当3%にもどる。 |
2003年8月8日 |
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人勧、過去最大の年間給与引き下げ、一時金0.25月削減。 |
2004年1月1日 |
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書記局体制縮小。(書記1名) |
2004年4月1日 |
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調整手当3%から2%に削減。 |
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