歴史
1 創 立
守山市柔道協会設立 昭和22年4月5日
(平成年月日 守山市柔道連盟に改称)
守山市柔道スポーツ少年団設立 昭和41年2月27日
守山市柔道教室開設 平成15年5月10日
2 概 略
1)昭和22年4月5日 石塚 定成、西村 平司、森川 昭二、藤本 利夫などが発起人となって
守山柔道同好会を設立、週3回夜間稽古に励む(敗戦国の武道として禁止された柔剣道が 昭和21年7月 戦勝国 アメリカ スポーツとして許可)
県柔道連盟野洲支部(支部長 宇野 勝氏 元野洲町長)にも属し 県下の大会には 常に選手を派遣
昭和39年 守山町体育協会に加盟
湖南中学校校舎に畳を移し 中学教諭木戸 巳代司先生(四段)も稽古に参加
その後 北川 俊一町長(後守山市長)の 好意により旧講堂を借用した
5) 41年2月27日 田中清太郎先生(県柔道連盟理事長 八段)や金森達郎先生の斡旋ならびに北川町長 西村四郎教育長 山岡茂公民館長 高橋一男体育協会副会長等をはじめ各位のご協力により 守山町柔道スポーツ少年団を結成スポーツ少年団後援会長 藤本 利夫 七段
副会長 高橋一男(元体育協会長 教育委員長 三段)
指導者 藤本利夫 七段 はい 本 孝 一 三 段 柴 原 泰 彦 四 段
を登録
スポーツ少年団保護者会会長に山口 惣吉氏(山口屋洋品店店主)就任
出席者 県柔道連盟役員一同 北川町長 町教育委員会 守山警察署長 小中学校長ほか 特に後に総理大臣就任の宇野 宗佑先生の特別参加をいただく
同年8月 京都市北区紫野池の坊町 京都少年心身育成柔道場練心会会長堀部正一先生(六段)の肝いりで 守山道場において親善試合を開催
同年10月には練心会を訪問し少年部員の親善試合 保護者懇親会を実施
この成果を踏まえ 毎年 春は守山 秋は京都でこれを開催することになった
しかし昭和50年からは 行事が 増加したため年1回交互に訪問することになった
その後 双方の行事がさらにまし 第27回をもって この親善試合は終了した
全国中学校柔道大会に出場
昭和51年4月より保護者会会長に 服部幹夫氏(服部工業株式会社社長)就任
指導者として八木康夫(当時弐段)守山小学校教諭 小西喜朗氏が参加
12月初めての女子有段者誕生(菊沢 律子:後膳所校 東大に進み 柔道部で活躍
須戸 ゆか:膳所校 滋賀大に進み 柔道部で活躍)その後にも 富樫美香 宇野 奈津子など 有段者が誕生する
同年4月 第4代保護者会会長に 後藤三生氏就任
同年8月 第30回滋賀県青年大会において守山チーム優勝し全国青年大会に出場 これには坪谷 石根指導部長の貢献大 以後近畿各種柔道大会への出場などに弾みをつける
同11月第6回県少年柔道大会 2位入賞
同10月 守山市柔道スポーツ少年団が 社会体育優良団体として文部大臣表彰を受ける
同8月第35回県青年柔道大会で準優勝
同8月第22回県少年柔道大会で 小学生低学年の部 2位入賞
同2月 飯塚保六段が長年の功績により県武道際において表彰を受ける
同4月 守山柔道協会創立40周年・守山市柔道スポーツ少年団創立21周年記念式典を開催
同8月 県青年柔道大会 優勝 11月第36回全国大会に 県代表として出場
第23回県少年柔道大会 高学年の部 優勝 低学年の部 3位 個人戦(女子2年の部)田中 美妃優勝
同11月県少年柔道大会 準優勝
同3月第10回県小学生柔道大会 3位
同5月第12回県少年柔道大会高学年の部 準優勝(県代表で近畿大会に出場)
同11月 守山柔道協会として 第42回近畿各種団体柔道大会 2位入賞
同年7月県青年柔道大会に 守山チーム優勝11月には県代表として第40回全国青年柔道大会に出場
11月 第44回近畿各種団体柔道大会にて 守山柔道協会優勝
10月第47回近畿各種団体対抗柔道大会において3位入賞