地 誌

笠原町は、守山駅から北西にへ約6キロメートル、車で約17分の美しい田園風景の町でいつも野洲川に
寄り添ってきた町です。
近くには県立守山北高等学校と守山学園、蛍の里及びゆいの里・ケアハウスゆいといった教育施設、福祉
施設があります。
笠原町は野洲川から今も恩恵を受けていますが、古来より「近江太郎」と言われた暴れ川のため野洲川に
何度も洪水、氾濫の試練を受けたことがあります。
蜊江(つぶえ)神社の名前の由来にも野洲川の氾濫から蜊(たにし)が御神体を護ったとする伝承があります。
  
         蜊江神社本殿                     水災記念碑

『大正2年10月3日未明の野洲川の決壊で村民に犠牲者がでました。犠牲者の一人が郡吏員の城野
誠三郎さんです。老いた母を背負い、木綿袋を提げて順教寺本堂に避難しましたが、残した妻を探し求
めている時帰らぬ人になりました。発見された時に、肩から提げた木綿袋を固く握りしめたままでした。
この袋の中には、大切な書類がぎっしりつまっていました。
この話が世に伝わり、人々に深い感銘を与えました。軍は、これを退役軍人の模範であると考え、在郷
軍人に「奉公袋」として、重要品を常備させました。
また、一般家庭でも薬を入れる常備袋として、普及し平和となった今に伝えられています。』
(守山市誌より)
近年では、昭和28年9月25日の台風13号で笠原洲本間で野洲川が決壊した大災害が契機となり、
野洲川の改修が始まりました。
   
       城野誠三郎曹長の碑                旧野洲川の「出涌」跡

昭和54年6月2日の新野洲川の通水以前は、町内にある「出涌」のほか、数か所の湧水池から町内の
水路に水が流れ、川戸では伝統野菜の笠原生姜の洗浄場所として賑わっていました。
野洲川の改修後、旧野洲川河川敷に野洲川改修記念公園と多目的広場が建設省が、守山市は「笠原
桜公園」と「ゲートボール場」を整備しました。
笠原桜公園の約500本の桜並木は笠原自治会と青壮年会で桜の苗木を植林し、今日の桜の名勝に
なっています。
その後、笠原桜公園に隣接してグランドゴルフ場を整備して、笠原町のグランドゴルフ愛好会をはじめ、
各地のグランドゴルフ愛好者に利用されています。
  
        笠原桜公園                       笠原グランドゴルフ場